大日堂<国指定重要建築物)>仏像拝観ハイキング
~文化財拝観と大山古道を歩く~
参加者45名、ガイドは16名。先発の1~3班は秦野駅9:30発、後発の4,5は秦野駅発10:00のバスに乗車し出発。

今年は秦野市の指定文化財が特別公開された。
仁王門・大日堂には一人 当会のガイド専任者が付き説明、不動堂、地蔵堂は各班で説明し、貴重な文化財仏像を拝観できた。
続いて境内の、大山道標、仏名塔、宝篋印塔、光西上人入寂の地の話を聞き、大日堂を後にした。








御師の里の家並みに進み、御師集落の説明を聞く。
最初は神成家、ここは江戸期の農業指導者及び報徳運動家、後年は静岡地方に報徳の教えを広めた安居院庄七の生家、江戸末期から各地の困窮の村々を救い農民生活の安定化に貢献した人である。
常夜灯、御師の宿の趣が今も残る二階堂家、根岸家を見ながら、水車小屋のある昼食場所の緑水庵に着く。






午後は大山鳥居、春日社跡、二十三夜供養塔、才戸の道標(才戸は羽根尾道と、富士道が合流する場所であり、古は塞戸だったのが才戸に訛ったとの事)、傍らにある地神塔、道祖神、浅間大神塔、五角柱地神塔、馬返しの坂、更に歩いて東雲小学校跡、新秦野インターまでは完成開通している第二東名を見ながら、今年指定文化財で特別公開された円通寺の木造十一面観音菩薩蔵を拝観。





続いて鹿島神社に立ち寄り、伝波多野城址に着く。
馬頭観音群やマタドの渡しを過ぎ、東公民館でトイレ休憩。
東田原の長閑な田園地帯を眺め、金剛寺の屋根も見えた、最後の訪問地の田原ふるさと公園は改築されたばかりの広い即売所、実朝御首塚、中丸遺跡の説明があり、解散。






中庭のバス停を案内し、ガイドも同乗し秦野駅へ、無事に帰途へ。秦野市以外からのお客様も多かった。お疲れ様でした。
お客様 45 名
観ボラガイド 16 名
1班 L;鈴木(雅)、西野、石井
2班 L;内堀、山本、岩田
3班 L;小澤、石原、長瀨
4班 L;端山、橋本、小川
5班 L:水島、岩本、赤嶺
仁王門・大日堂説明 鈴木(正)
統括: 赤嶺
記 赤嶺
軽便鉄道は明治39年秦野駅から二宮駅まで 約9,6キロを結んだ湘南馬車鉄道から始まる。大正2年に、動力が蒸気機関になり大正12年一部延長され最盛期を向かえ、秦野に経済発展等大きな貢献を成し遂げてきたが、関東大震災による被害や昭和2年小田原急行電鉄(株) (現小田急電鉄)の開通によりその使命を終え、昭和10年代に廃線となりました。
当時の駅跡にある、案内の碑と沿線コース上に残っている「軽便のみち」の石碑を尋ね歩きました。
参加者は37名。案內スタッフは17名。4班に分かれ、秦野駅を出発。現イオン秦野の秦野駅跡を目指す。

軽便秦野駅跡で軽便鉄道の歴史を聴く。向かいのNTTビルが軽便秦野駅跡。ここから軌道の道筋が残る「軽便の道」を辿る。

龍門寺の縁起を聴き、台町を目指す。台町は専売局に線路が延長される前の秦野駅。


ここから民家の脇を抜け命徳寺へ。ここでは、市文化財の薬医門を見学。線路は命徳寺総門から。水無川を渡り、養泉院の前まで直線であったようである 養泉院の坂を登り大竹駅跡に向かう。大竹の出口にある六地蔵を見ながら歩を進め、東名インター(ここが登りのピーク)を過ぎ、中井町に入る。





旧道の分岐点にあたる「分かされ」に建つ不動明王の大山道標を見て隣にある上井ノ口駅跡に到着。


ここから下り坂を歩き蓑笠神社へ、名前の由来のスサノオ伝説と御神木の説明を聞く。鳥居の横には多くの石仏が建つ。東に進むと金目観音に向かうという。

続いて井ノ口公民館に寄り、軽便鉄道の模型を見学した。
厳島湿生公園に到着、公園の風景を見ながら昼食を摂る。




午後は米倉氏ゆかりの米倉寺へ向かう。米倉氏の墓所を見学後、お寺の許可をいただき本堂参拝。
飛騨の甚五郎作と伝わる阿吽の龍や、欄間彫刻を拝観した。彫刻の見事さに皆さん見入っていた。



ついで寺向いの春日局ゆかりの一夜門を見て、下井ノ口駅跡を過ぎると、葛川沿いの遊歩道を歩く、ここは気分転換に良いコースである。運がよいと「カワセミ・キジ」等の野鳥が見られる、今日は数人が「カワセミ」を見た。


一色駅跡、中里駅跡、萬年橋では往時の風景画写真と現在を比べて楽しみました。
二宮駅跡(軽便唯一の遺構である本社の建物があった所だが残念ながら5年前二階部分が老朽化により取り壊された)に到着。



消えつつある貴重な文化をガイドして、全員無事二宮駅に到着、お客様と笑顔で解散した。
今年は新型コロナ感染予防で スタッフを含め 全員検温、マスク着用、密を防ぐ対応を行なった。
1班 鈴木正、平田、小泉、鈴木良
2班 水島、赤嶺、西野、岩田
3班 鈴木俊、長瀬、嶋、山崎
4班 内堀、三輪、岩本、小川会長
小澤 記
10月4日(火)「本町の建築群とくずは峡谷・森林セラピーロード散策」を実施。
参加者は26名 ガイドスタッフ21名
季節はずれの高温晴天の下、秦野駅を4班に分かれ出発。吾妻道に入る。


豆峰、清水虎吉商店、茶舗立花屋と案内し、国登録有形文化財(建築物)の五十嵐商店に到着。代表的な看板建築である。カフェいがらしオーナーの小野様のご厚意で内部1,2,3階と倉庫も見学、皆さん興味深く見学していた。また外装の凝った装飾が素晴らしい。






続いて枡屋(ここも看板建築だが、桝屋さんは廃業し、コーヒー店他の店舗として存続)、聖ルカ協会を巡り、四つ角で十日市場の歴史の説明を聴き、普川邸、旧町役場跡(門柱のみ残る)、宇山商事(ここも国登録有形文化財の出桁建築)、梶山米店を廻りイオン(ここは専売公社鴨居寮のあったところ)まで進み、引き返して曽屋道に入る。






古峰神社、石田屋塩蔵、大用寺を経由して大道に入る。道沿いにある石田邸(出桁建築が見事)を見学。(つづく野村家は残念ながら壊された)ここからくずは峡谷を目指す。





途中、平野屋を案内、続いて江戸時代井之大明神といい曽屋村の鎮守だった曽屋神社を参拝。拝殿が見事。井之明神水で一服後、くずは峡谷に到着。広場で職員の方からくずは峡谷の説明を聞き、昼食となった。





午後は吊橋を渡り、露頭を見学(整備されよく観察できた)して峡谷を後にする。

金毘羅神社から国道246沿いを歩き県道に戻り、水神祠を見学。人知れずひっそりと建つ。藪は刈られて助かった。ここから城光院を目指すが藪で通れず迂回して到着。



さらに隣の国登録記念物の曽屋水道記念公園で小休止。乳牛通りに入り、望月家を案内し、続いて天徳寺を参拝、玉川屋豆富店を見て、ひがしみちを通り、秦野駅に14時30分までに到着した。季節外れの高温だが湿度が少なく快適なハイキングとなった。




統括 鈴木正 1班:平田、有馬、端山、白井、岩田、2班:鈴木俊、西野、嶋、石井、山崎3班:小川、鈴木雅、長瀬、八木、小泉、4班:水島、内堀、西口、岩本、鈴木次
記 鈴木正
2022年9月16日(金)「上地区彼岸花ハイキング」
コロナ禍も3年目の半ばを過ぎそれなりに自己防衛策も定着したかに見える。9月に入り台風や秋雨が続く中、久々のハイキング日和に恵まれた。
定員30名のところキャンセル待ちのお客様が30名以上ご応募いただいた。交通機関利用もないコースであるため60名で対応することとした。しかし直前のキャンセルが発生し実際は46名参加で、各班ゲスト8から10名、観ボラ3から4名での5班対応となった。

7月8月のハイキング休止期間後のハイキング再開である。
ガイドは19名、観ボラ朝礼直後から受付を開始、8時30分には第1班が出発となる。最終5班は9時9分に出発となった。
例年の御嶽神社から桂林寺を経て、四十八瀬川沿いに入るコースの彼岸花生育が今一つのため、今回は甘柿橋から下流の田頭橋から四十八瀬川沿いを下るコースに変更した。
その結果、熊野神社から菖蒲地蔵堂跡、バス停横馬頭観音、東光寺、浄徳院を経て、上公民館に至る行程で上公民館で昼食をとり、以降の行程は従来通り。
一行(5班)は渋沢駅北口から西に向かい、大森家本家前から田頭橋の四十八瀬川沿いに急坂を下る、途中道端の道祖神群に感動、田頭橋を渡り小田急線ガードをくぐり、四十八瀬川沿い土手に入る。

途中、一週間まえの下見状況以上に彼岸花が散見された(開花前が多いが)、歩きながら30分ほど川沿いを散策、上地区の自然や生活についての説明を聞きながら小田急線踏切を渡り、熊野神社に向かうやや登り坂の古道に入る。
途中道端の馬頭観音群に興味をひかれ熊野神社に到着、水分補給後、菖蒲地蔵堂跡、バス停横馬頭観音、東光院、浄徳院では萩の花に感動。









昼食後上公民館を出発、生き物の里に向かう、彼岸花やガマの穂、羽黒トンボがみられた。



さらに行程は、長福寺、不動院(白體不動尊)、柳川道祖神を経て再び、上公民館でトイレ休憩、上秦野神社、イボ地蔵から渋沢駅に向かった。






途中御嶽神社でハイキング終了時の挨拶と皆さんから楽しく有意義なハイキングであったとの感想を伺った。

下見時に懸念された山ヒル被害で予防策としてゲスト足元に忌避剤散布した、また、彼岸花は下見時の期待以上に開花が見られコース変更の甲斐ありと判断された。(文責:鈴木俊明)
(班構成)
1班(ゲスト10名):平田L、鈴木正、長瀬、鈴木次
2班(ゲスト8名):赤嶺L、西野、岩本、石井
3班(ゲスト9名):小沢L、西口、白井、岩田
4班(ゲスト9名):内堀L、山本、八木
5班(ゲスト10名):水島L、小川、山崎、鈴木俊
統括:鈴木俊