令和4年10月20日(木) 軽便の道を歩くを実施
軽便鉄道は明治39年秦野駅から二宮駅まで 約9,6キロを結んだ湘南馬車鉄道から始まる。大正2年に、動力が蒸気機関になり大正12年一部延長され最盛期を向かえ、秦野に経済発展等大きな貢献を成し遂げてきたが、関東大震災による被害や昭和2年小田原急行電鉄(株) (現小田急電鉄)の開通によりその使命を終え、昭和10年代に廃線となりました。
当時の駅跡にある、案内の碑と沿線コース上に残っている「軽便のみち」の石碑を尋ね歩きました。
参加者は37名。案內スタッフは17名。4班に分かれ、秦野駅を出発。現イオン秦野の秦野駅跡を目指す。
軽便秦野駅跡で軽便鉄道の歴史を聴く。向かいのNTTビルが軽便秦野駅跡。ここから軌道の道筋が残る「軽便の道」を辿る。
龍門寺の縁起を聴き、台町を目指す。台町は専売局に線路が延長される前の秦野駅。
ここから民家の脇を抜け命徳寺へ。ここでは、市文化財の薬医門を見学。線路は命徳寺総門から。水無川を渡り、養泉院の前まで直線であったようである 養泉院の坂を登り大竹駅跡に向かう。大竹の出口にある六地蔵を見ながら歩を進め、東名インター(ここが登りのピーク)を過ぎ、中井町に入る。
旧道の分岐点にあたる「分かされ」に建つ不動明王の大山道標を見て隣にある上井ノ口駅跡に到着。
ここから下り坂を歩き蓑笠神社へ、名前の由来のスサノオ伝説と御神木の説明を聞く。鳥居の横には多くの石仏が建つ。東に進むと金目観音に向かうという。
続いて井ノ口公民館に寄り、軽便鉄道の模型を見学した。
厳島湿生公園に到着、公園の風景を見ながら昼食を摂る。
午後は米倉氏ゆかりの米倉寺へ向かう。米倉氏の墓所を見学後、お寺の許可をいただき本堂参拝。
飛騨の甚五郎作と伝わる阿吽の龍や、欄間彫刻を拝観した。彫刻の見事さに皆さん見入っていた。
ついで寺向いの春日局ゆかりの一夜門を見て、下井ノ口駅跡を過ぎると、葛川沿いの遊歩道を歩く、ここは気分転換に良いコースである。運がよいと「カワセミ・キジ」等の野鳥が見られる、今日は数人が「カワセミ」を見た。
一色駅跡、中里駅跡、萬年橋では往時の風景画写真と現在を比べて楽しみました。
二宮駅跡(軽便唯一の遺構である本社の建物があった所だが残念ながら5年前二階部分が老朽化により取り壊された)に到着。
消えつつある貴重な文化をガイドして、全員無事二宮駅に到着、お客様と笑顔で解散した。
今年は新型コロナ感染予防で スタッフを含め 全員検温、マスク着用、密を防ぐ対応を行なった。
1班 鈴木正、平田、小泉、鈴木良
2班 水島、赤嶺、西野、岩田
3班 鈴木俊、長瀬、嶋、山崎
4班 内堀、三輪、岩本、小川会長
小澤 記